楽譜に書かれていること 2021.7.7

楽譜に書かれた情報と実際に音として鳴る音楽に含まれる情報にはどの程度の差があるのでしょう。
私の認識では楽譜に含まれる情報量は(時代によってかなり差がありますが、それでも)音楽の1%以下だと思っています。


そんな筈はない、と思いますか?
同じ曲は誰が演奏しても同じ曲だと分かるのだから殆ど違いはない、と思いますか?
もしもあなたが誰の演奏を聴いても全く同じに聞こえるのであれば、それは記譜できる程度の情報量しか読み取っていないという事です。

逆に演奏者によって全然違うと感じるのなら、記譜できない情報を多く読み取っている証です。

演奏者によって出てくる音楽にかなり違いはあるけれど、それにしたって99%も違わない、と思ったあなた。

それは、例えば人を見た時に「生き物だ」と思うか「人間だ」と思うか「日本人だ」と思うか「男だ」と思うか「片岡だ」と思うかという認識レベルの差によるものです。

記譜は「人間」とだけ書いてありますが、これを演奏したものを聴いて「人間」としか認識しない場合は誰の演奏でも同じに聞こえます。

しかし日本人とアメリカ人の違いを認識すると演奏は多少違って聞こえてきます。
更に「片岡」か「山下」かという違いを認識すればかなり演奏は違って聞こえるでしょうし、「元気な片岡」か「疲れた片岡」かの違いにまで気を配ることが出来れば相当異なるものに聞こえます。

因みに「人間」を「生き物」だとしか認識しない状態では、別の曲との違いもわからなくなります。

 

もう少し詳しく説明をしてみましょう。
デジタルに捉えると、音楽は時間軸上の各時点における【音高】【音量】【音色】という3つのパラメーターで表すことが出来ます。
これらのパラメーターのうち、正確に記譜できるものは1つもありません。
大凡どの程度の高さの音が大体どのタイミングで出るか、程度の極めて大雑把な情報しかないのです。


【音高】

鍵盤楽器であれば(そして「この鍵盤を押せば正しい音が出る」という程度の単純な話であれば)音高は正確に記譜されていることになりますが、音高をある程度変えることが出来る多くの楽器では(勿論声も)正しい音高はそう簡単に一義的には決めることはできません。
上級者であれば楽譜から和声や音楽的な意味を読み取ることである程度までは絞り込むことが可能ですが、最後には個人の趣味が入らざるをえません。

【音量】
フォルテ、ピアノ、クレッシェンド、デクレッシェンドなど、どれほど細かく指定しようとたった1音の中の音量の変化すら正確に書き表すことはできません。

【音色】
定義することも少々難しい【音色】ですが、ここでは波形と考えても差し支えないでしょう。
しかし楽譜で指定できる音色は、精々フルートやヴァイオリンといった楽器の違い程度の雑な区別です。

 

ここまで読んで「音の長さ」はどこにいった?と思われた方もいるかも知れません。
確かに「音の4要素」と言われるものには上の3つのパラメーターに加えて【音の長さ】があるとされています。
しかし実のところ音楽上【音の長さ】として表されている事柄は、実際には【音高】【音量】の変化を別の視点から見ているに過ぎません。
つまり【音量】が0からプラスになった時点からまた0になったり、別の【音高】に変化するまでに経過した時間がすなわち【音の長さ】ということになります。

では【音の長さ】という観点で楽譜は音楽を正確に記録しているのか、といえばやはりそんなことはありません。

一見【音の長さ】を表しているように思える音符(♩, ♪, ♬ 休符も同じ)は、音が出る時点(タイミング)を大まかに表しているに過ぎず、どこまで音を伸ばすのか(どこで止めるのか)を表してはいないのです。
例えば、♩=60, 4/4拍子で1拍目に置かれた4分音符はその音を1秒間出し続けることを指定している訳ではありません

この場合4分音符が表しているのは【音の長さ】ではなく「次に置かれた音符(または休符)が2拍目である」という事なのです。

 

さて、結局私は何が言いたいのでしょうか。

要は楽譜から音楽を造ろうとしてはいけないということです。
ここまで述べたように、楽譜というものは極めて不完全な形でしか音楽を記録できません。
作曲家はその頭の中で出来上がった完全な「音楽」を楽譜という極めて不完全なフォーマットに無理矢理押し込めているのです。

楽譜とは、いわば高精細写真をモザイクに置き換え、更に暗号コードに変換したようなものです。
楽譜を見て記譜通りの音を順番に出す、というのは暗号コードをモザイクに置き換えるだけの単純作業です。
モザイクは音楽ではありません。

音楽はモザイクをかける以前の高精細写真の方です。

だからといって、モザイクを加工して別の写真をでっち上げるのは音楽に対する冒涜というものです。


演奏者は楽譜を通してしか音楽を伺い知ることが叶いません。

だからこそ楽譜を読む際には「どのような音であればこのように記譜され得るのか」という視点が必要なのです。

楽譜から音楽を見るのではなく、音楽から楽譜を見るようにしてください。